自転車世界旅2 VOL:3
3月14日~3月20日
溝口さんのアジア旅行。2週目に入った自転車旅は、ベトナム北部ハノイ周辺を旅します。
3月14日
ベトナム ハロン→ハノイ
145km
ベトナムの首都ハノイに近づくに連れて交通量が増えてくる。道路は巻き上げられた砂埃で黄色く霞んで見える。排ガスに咳き込みながらも広大な田園地帯を通り抜ける。
自転車で走っているとたくさんの「ハロー!」が聞こえてくる。遊んでいる子供たちであったり、工事現場で作業している人たちであったり、お互いにハローと笑い合うだけでパワーを貰える。あるいは遠く離れた田んぼから私に向けて声がけをしてくれるので、どこから声が飛んできたか探すのもたいへんだった。結局見つけられず、とりあえずハローと叫ぶこともしばしばあった。さらに、ただカメラを構えて風景を撮影しているだけで、みんな「俺を撮れよ!」と言わんばかりにアピールしてくる。
ベトナム人は楽しい人たちだ。
この日は夜間走行をしていたが、首都ハノイの無灯火で逆走してくるバイクを回避する術など持ち合わせていない。そんなステルスミサイルに怯えながら、街の中心地に到着した。
3月15日
ベトナム ハノイ観光
10km
私にはベトナム人の友達がいる。同じ大学の留学生ミン君だ。彼はこの春休みにベトナムに帰省していたので、ハノイで会う約束をしていた。いつも日本語で話していたが、現地の方とベトナム語で話している姿(当たり前だが)に驚きつつ、ハノイの観光名所に連れていってもらった。ベトナム戦争の博物館やホーチミン廟など、タクシーで回りながら彼に解説までしてくれた。今までご飯を食べるにも言葉が通じずに苦労したが、彼が居ると、とても心強かった。ベトナム旅のノウハウをたくさん教えてもらえた。
今回の旅では、大学の留学生の友達にすごく協力してもらっている。中国、ベトナム、ラオス、それぞれの留学生と一緒にルートを考え、道中では通訳をしてもらった。いろんな人が関わり合って、旅が成り立っているのだと実感させられた。
3月16日
ベトナム ハノイ→ホアビン
80km
ミン君と握手をして、完走したら日本で会おうと約束し、ハノイを出発する。ハノイから80km南西に向かうとホアビンという街に着いたこの街にはベトナム最大級のダムがある。ホアビンダムだ。高さ128m、幅970mの巨大な壁が姿を現す。日本の一般的なダムに比べて、かなりの大きさだ。なんとベトナム国内の電力のうち27%を発電しているそうだ。ダムに登ったり、対岸まで走ったりしているうちに暗くなってしまった。
ベトナム料理として最も有名なのが、米が原料のフォーと呼ばれるヌードルスープだ。街の至るところでフォー屋をみかけ、皆朝食に食べるそうだ。この日の夜にフォーをすすっていたら、店主のオヤジさんに泊まっていけと言われて、フォー屋さんに泊めてもらう。ヨーロッパでは、本当に大勢の人に出会って家に招待されたが、アジアではホテルが安いし無いと思っていた。けれど、皆本当に親切で、自転車で旅している私を気遣ってくれる。カムオーン(ありがとう)とベトナム語で伝えた。
3月17日
ベトナム ホアビン→M?c Châu(モクチャウ)
80km
泊めてくれたフォー屋でフォーを食べて出発。ここからは山岳地帯だ。中国からほとんど平坦だったので、顔が歪みそうな坂の勾配に、久々に心躍らせていた。やはり山はイイ。目まぐるしく変化する景色に退屈など置き去りだ。あのカーブを曲がったら、あの山を越えたら何が見えるのだろう。こういった感覚は旅に出る人間の本質に近いのかもしれない。そんな「探求心」が、峰々の高みに挑むパワーを湧かせる。辛いけど、脚を止めたいと思わない、止めたくない。標高が上がるに連れて霧が濃くなってゆく。数メートル先が霞む、こんな濃霧は初めてだ。まるで白い闇だ。霧に視界を奪われながら坂を下っていく途中では何台もの車やバイクが事故を起こしていた。集中せねば…
暗くなってくると、本当に何も見えなくなった。道路を走っているのに遭難した気分だ。とある爺さんに呼び止められた。
爺さん「こんな山の霧の中ベトナム人でも自転車で走らねえぞ!」
私「私は日本人だから」
爺さん「おおぉ!サムライかよっ!」
半分は憶測だが、サムライと連呼していたのが面白く、その後も笑いながら走っていたら、やはり様子がオカシイ人だと思われたのだろう。違う人に呼び止められてそのまま泊まってけという一連の流れ。また助けてもらった。
3月18日
ベトナム モクチャウ→Pa Hang(パ・ハン)
104km
晴れた。太陽が見える。
いつぶりだ?と記憶を遡ると、日本を出国してから初めて太陽だった。それくらい、いままでは曇っていた。気分も晴れて、お世話になった人に礼を告げて、いざラオスへの国境へ。モクチャウでは茶畑が有名なようだ。そんな話をレストランで出会った人から聞いたので、往復30kmの寄り道をする。私は静岡県の茶畑を見たことがある。山あいに広がる茶畑は美しいものだが、ベトナムでも見られるとは思っていなかった。特有の凹凸のある地形一面、見渡す限りの茶畑がそこにはあった。民族衣装を着た子供たちが茶畑を駆け巡っている。あまりにもキレイで、のどかな光景に見とれて、しばらく動くことができなかった。
寄り道し過ぎたせいで、国境まで行こうにも日が暮れる。標高1,400mまで民家もない細い峠道で、ライトを照らしながら登っていく。夜9時に国境のパ・ハンに到着。もちろんゲートは閉まっていた。「ははは。ざまーみろ自分。」と慰めた。職員にホテルまで20km戻れと言われたので、数百メートル戻って野宿決行。そんなことだろうと、食糧は積んできたし、来るまでに野宿スポットの目処を立てておいた。国境付近ということで、かなり念入りに草木を掻き分けながら山の奥まで進んだので、寝心地は悪かったが、見つかる心配をせずに寝られた。
3月19日
ベトナム パ・ハン→Mai Châu(マイチャウ)
102km
見つからぬようにコソコソと夜明け前に撤収作業。相変わらずの霧でテントが濡れて重くなった。さて、国境越えだ!ドキドキしながら故郷ゲートに近づくと、衝撃の事実を知らされた。
「このゲート、日本人は通れないよ」
どこかまだヨーロッパの感覚が抜けきらないのか、国境はどの道でも越えられると信じて疑わなかった。島国育ちの私には国境というものを理解していなかった。自分の愚かさに絶望するというよりも、ここまできて山を越えられないことを悔やんだ。今まで自転車で旅してきて、越えられない山はこれが初めてだ。
途方に暮れてもしょうがないので、来た道を戻って250km迂回してのラオス入りを目指す。ホアビンからの山を越えてから気候が変わった。昼間は晴れて、夕方からはスコールが振り出す。とはいえ、一度下ってきた山を登り返すのは、退屈ではなく、楽しいものだった。さらに、暑さから逃げるように飛び込んだ屋台では、日本語を話せる女性と出会った。そんな出会いもあり、私の過ちを悔やむ気持ちはサラサラと消えていった。
夕方、やはりスコールが降りだした。バイク屋で雨宿りさせてもらうと、この先はホテルが無いから泊まっていけの一言。先に進もうという気持ちが人の優しさに負けるくらいに弱いわけじゃない。人の優しさが大きすぎるのだ、と言い聞かせてはいる。果たして優しさを振り切ることが強さなのか?と困惑してきたのもたしかだ。何よりありがたい好意に感謝の気持ちを持っている。
3月20日
ベトナム マイチャウ→Quan Son(クァンソン)
80km
昨晩私は泊まってけと言われて進もうかと悩んだが、進まなくて正解だった。道路は未舗装で、ところどころ崩れかけているような場所を進む。こんな道、真っ暗じゃ走れなかっただろう。夕方まで走り続けたあとに同様、スコールの雨宿りした場所でまた出会いがあった。
私と同い年のベトナム人たち数人と意気投合して、ビールで乾杯。また先に進めなくなってしまった。それも良いと思えるくらい楽しい夜を過ごした。彼らの住まいは木造の高床式住居だ。一緒に畑に野菜を取りに行って、調理した。ホテルでは味わえない、現地人の暮らしがよく分かる新鮮な体験だった。夜まで飲んで、そのまま泊めてもらった。
ベトナムの人々はとてもフレンドリーだ。そして彼らは日本のことが好きだと言う。ベトナムに来て、それを知れたことが嬉しかった。同時に私もベトナムが好きになった。