自転車世界旅2 Vol:5
3月28日~4月1日
溝口さんのアジア旅行。1ヶ月に及んだ旅は、いよいよ目的地 タイ・バンコクに到着します。
3月28日
タイ ナコーンラーチャシーマ→サラブリー
37km
バンコクまで残り200kmを切った。相変わらず猛暑の日々が続く。気のせいか太陽が日本のものより大きく見える。自転車でタイを走っているだけなのに、不思議と気持ちが高揚する。トラックの荷台に座る人達は通り越しに手を振ってくれ、立ち止まればいろんな人が声を掛けてくれる。何の変哲もない平原を走っているだけでニヤけてくるくらい楽しい。油断をしていると野犬に追いかけられて必死で逃げるのも、タイならではの特徴かもしれない。それもまたタイらしい。
ヨーロッパ旅行中にプミポン国王が崩御されて、一抹の不安があったが心配なかった。
元気な国のままだ。
3月29日
タイ サラブリー→バンコク
163km
いよいよ首都バンコクに到着する。数キロ先まで続く交通渋滞から鳴り響くクラクション、空を囲むように連立する高層ビル、路肩には屋台が立ち並び香辛料の独特な香りが漂ってきて、著しい経済発展のためか都市は活気溢れている。
「あぁ、5年前と同じだ―。」
日本から海を越えて遠く離れた地に故郷のような懐かしささえ感じる。私が12歳の時、親の転勤でバンコクに連れてこられた。あの頃は一人で移動することもできなくて、バンコクはとても広くて怖く、手の届かない世界に感じられた。今はどうだろうか。当時感じていたような無力感は無い。今は異国の地に自らの力で立っている。きっと、共に旅をしたBRUNOが自信をつけてくれたのだろう。
かつて住んでいたマンションにも立ち寄ってみた。備え付きのプール、テニスコート、このマンションの敷地が5年前までの私の最も広い行動範囲だった。
「帰ってきたぞ、第二の故郷!」
ここまでの旅路を思い返すと感慨深いものがある。
3月30日~31日
タイ サメット島
かつて一緒にバンコク日本人学校で学んだ仲間たちは、日本、タイだけでなく世界中に散らばっている。おかげで夏にヨーロッパを旅している途中で、何人かの仲間に会うことができた。そのうちの一人であるユウキとはイギリスで会ったが、偶然バンコクに帰ってきていて再会ができた。ヨーロッパ、アジア、二度の海外自転車旅行中で同じ人に会うとは。バンコクの南東にあるサメット島まで二人で一泊二日のバカンスに行ってきた。サメット島は本土からフェリーで20分ほど離れた海に浮かぶ小さな島だ。バンコク在住時に来たことがある。海に入るのはその時以来、5年ぶりだった。
トムヤムクン、ソムタム、パッタイ、懐かしいタイ料理をビーチで楽しんだ。ココナッツジュースが生臭くて苦手なのは相変わらずだったが。透明な海に浮かびながら二人で思い出話をし、将来のことについて語り合った。お互いに二十歳という人生の節目を迎え、漠然とした希望や不安などを共有し合える友達はかけがえのない財産だ。
数年前に会ったこの場所で、再会できたこと。
孤独な自転車旅の最後に与えてくれたご褒美だ。
4月1日
タイ バンコク
タイには日本人が6万人住んでいると言われている。首都バンコクにある泰日協会学校(バンコク日本人学校)は世界最大級の日本人学校だ。街の至る所で日本語が垣間見られ、日本語が聞こえることも多い。日本人の学習塾だってある。私が当時通っていた学習塾「泰夢」もその一つだ。実は泰夢でお世話になった先生に、出国前に一つお願いをしていた。
「私が無事にバンコクへたどり着いたら、生徒たちに向けて話をさせてください」と。
「私自身、当時は海外に住むという体験の貴重さを認識できていなかった。外の世界に目もくれずに過ごしていた日々を後悔さえした。だからこそ、私の自転車旅を通じて少しでもタイや世界のことを知って、興味を持ってほしい。日本やタイのみならず、地球上の他の国々は遠い世界ではなく、自転車でも行けるのだと。今後、社会はグローバル化が進み、日本はますます海外との関係が密になるだろう。海外生活はそれを身近に体験できる貴重な機会だと思うので、何事も恐れずに、外の世界を体験してほしい。知らない世界を知ることが怖くて、暖かい場所に引きこもっていても何の解決にもならないことを思い知らされた。」
未知を恐れず、未知を求め、未知へと挑むことが人生を豊かにする鍵なのかもしれない。私はこれからも未知へと自転車を走らせていくつもりだ。
ヨーロッパとアジア、離れた二つの地域をこの半年間で体験することができた。同じ地球のはずなのに、気候から人柄まで顕著な差があった。こうも違うのか、と戸惑うことも多かったが、その違いが新たな刺激を生んで、たくさんのことを考えさせられた。アルプス山脈を登りきった時の景色には感動した。途上国の村人たちが、都会のような便利なモノが無くても幸せそうに笑っていたことに驚かされた。大勢の人が親切にしてくれたことも嬉しかった。たった3ヶ月間の旅行中で目まぐるしく変わる人、景色、思考、自転車に乗りながら過ごした時間は20年間の人生において最も有意義だったと自信を持って言える。
今回もそうだ。親に連れられバンコクで中学時代を過ごした当時は、日本に帰りたくて、日本に憧れていて、二度とここへは戻ってこないと思っていた。それがまさか、自転車で走るとは思いもよらなかっただろう。飛行機や車窓からしか見たことの無い景色は、いざ走ってみると、より一層広く感じた。はるか地平線の彼方へ広がる大地やどうしたって手の届きそうにない青空を生身の体で感じてしまった。
各国でたくさんの人と出会い、地球人の輪の中に居ることを感じた。ヨーロッパを旅して出会った人たちとは、未だに連絡を取り合っている。一生涯の友達だ。そんな出会いがアジアでもたくさんあり、旅を続ける限り出会う人も増え続けるだろうと信じている。自転車旅は孤独との闘いだと思っていたが、そんなことはなかった。走っていれば必ず誰かに会う。それ故に寂しいと感じたことはない。
今まで旅をしてきて、人に出会い、山に挑み、転んで怪我をして助けられ、笑ったり、苦しんだり、泣いたり、這いつくばって軌跡を残してきた。
それでも力を入れてペダルを踏み続けられたのは、この世界に「私の轍」を残したかったからだ。それは私の宝物であり、生きた証であり、自らの人生に課した使命でもある。
「これから何を残せるだろう?」私の旅はまだ終わりそうにない。終わらせない。
最後に、今回の旅でも大勢の人に応援していただき、助けてもらいました。それが無ければここまで来ることはできませんでした。
本当に応援ありがとうございました。
―溝口哲也―