自転車世界旅vol:7 【チェコ編】
第七弾はチェコ編!
今回はかなりのアクシデントに襲われながらも、、、、
9月27日ドイツ キーム湖→オーストリア プラメット【本日の走行距離:141km】
今日はフランスのタンドで出会った私の”祖父”であるフェルディナンドおじいさんに会いにオーストリア中央の御自宅へと向かう。
道中は、まるで緑で色塗られたかのようにきれいな草原が見渡す限りに続いている。
夕暮れ時は、緑だった草原は黄金に輝き、心踊る情景が楽しめる。しかし、日が沈んで暗くなると、本当に暗闇の世界だ。
夜空に輝く星以外の光源は無く、まるで絶海の孤島に居るかのように錯覚させられた。
本当に人が住んでいるのか、と不安になるような鬱蒼とした森を抜けて、ようやく小さな集落にたどり着いた。1ヶ月ぶりの再会だ。
9月28日-10月1日 フェルナンドおじいさんと共に【本日の走行距離:km】
フェルディナンドおじいさんとはフランスのタンドのキャンプ場で出会った。
当時数々の峠越えに疲れ果てながら、皆が眠りにつく頃にキャンプ場へと到着した。そんな私に声をかけてきたのが彼だった。
それ以後、たまに連絡を取り合っていて、無事に再会を果たせた。
ちょうど旅は半分の行程を終える。
ここまで毎日走り続けていたので久々に休息を得ることができた。
独り身の彼にとって私は本当の孫のような存在だったらしく、沢山話をして、ご飯を一緒に作り、いろんな場所に連れていってもらった。
湖と山に囲まれた街、ハルシュタットもその一つだ。
切り立った山の斜面に民家が建ち並び、底が見えるほど透き通った湖に面している。
美しいとはこういうことだ、と言わんばかりの街並みが印象的だった。
そこからさほど遠くない場所からゴンドラを使って山を登る。そこには氷河に覆われた洞窟があった。岩山の中とは思えないほどその空間は広く、自然の雄大さを思い知らされた。
チェコ南部のチェスキークルムノフでは、クルムノフ城を囲む建設当時のままの城壁都市を観ることができた。
オリジナルの石畳や石造りの街に歴史を感じた。常に私を気遣ってくれて、いろんな場所を二人で歩いた。
私は、そんな彼を”祖父”と呼んでいる。
10月2日 チェコ チェルキークルムノフ→ プラハ【本日の走行距離:km】
本当にお世話になったフェルディナンドおじいさんと別れて、再び一人で走り続けた。初めて走る国、チェコ。
雨が降り止まぬ森をひたすらに走っていく。
休息を取れたおかげで調子良く走れる、はずだった。
しかし、徐々に右膝に痛みが生じてきて、ついにはペダルを回すことが出来なくなってしまう。
仕方がないので、トゥークリップを強めに締めて、左足だけで走り続けた。
幸いなことに、チェコは物価が安く、ホテルに泊まることができたが、膝の痛みに不安が残った。
10月3日 チェコ プラハ→ヴェルヴァリ 【本日の走行距離:67km】
チェコ、と聞いて何が思い浮かぶだろうか。
私はイメージできることが何一つ無かった。
文字通り”何も無い”道がただただ続いており、「こんなものか。」という落胆を一掃したのが首都プラハだ。
ここを訪れて私のチェコに対する印象が大きく変わった。荘厳な造りの建物が建ち並び、多くの人で賑わうその街は、まるで別の世界だった。
幸いにも昨日悩ませた膝の痛みは消え、市内観光を楽しんでいた。
降り続いた雨も止んで、虹まで見えた。そんな明るい気分を打ち砕く事件が発生した。突然のリアシフトワイヤーの断線、リア変速機のアームを曲げてしまった。
さらに変速機を気にしながら走行していたら、横切る線路に気付かず、転倒。
フェンダーを破壊して、チェーンが回らなくなる。体からは血が流れ、追い討ちをかけるように雨が振りだした。
度重なる不運に打ちひしがれた。
知らない国、知らない場所、知らない言葉。
これは助けを求めるべきじゃないかと弱い考えが頭をよぎった。
勝手に旅に出ておきながら助けを求めるなんてカッコ悪すぎる。
冷静にならなければ、と走れなくなった自転車を押して歩く。
まだまだ未熟な私だけど、今までにも日本を旅してきて、いくつかの修羅場をくぐり抜けてきた。
そういう経験が自信に繋がり、今という現状に立ち向かう勇気をくれた。
通りすぎる車に雨水をかけられながら歩き続け、どれくらいの時間が経っただろう。
小さな村のペンションに到着した。夜の雨の中、真っ黒に汚れた私に受付のおばさんは驚いたようで、多大なる親切を受けた。私が強い自分を保っていられるのは、きっとたくさんの親切のおかげなのだと思う。
アクシデントの影響で少し予定が狂ってしまった。
まずは自転車の修理が最優先だ。いろいろな不運が重なったけど、こんな状況でも楽しんでいる余裕がまだあるからきっと大丈夫だ。